3.3
読み手を意識する

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達人:「突然じゃが、おぬしら。日記を書くときに、読み手を意識して日記を書きなさいといったらどう思う?」

好子ちゃん:「えっ?日記って自分一人が読むものなんじゃないの?」

嫌くん:「そーだ、そーだ!!なんで読み手を意識しないといけないんだよ!」

達人:「まぁ、そう怒りなさんな。日記の読み手は自分一人のなのに、なんでわざわざ読み手を意識して書かなくちゃいけないのかを説明しよう。それはじゃな、日記を他人に見せるにせよ見せないにせよ、他人が読んでもわかるように日記を書く 方がいいということなんじゃ。もし、自分一人しか読まないということにどっぷりと浸かってしまうと、甘えや愚痴、他人の悪口、 あきらめ、なげやり、自己満足、といったことばかりで日記が埋まってしまう可能性がある。こういった内容で埋められた日記を書くくらいなら、書かない方がましである。先にも少し言ったが、こうした日記は一時的に楽になるという効果はある。しかしそれは問題を解決をすることにはならない。むしろ、解決を先延ばしにしているようなも のである。こういった日記は人生を貧しくするんじゃ。」

達人:「そこでじゃ、第一人称としての自分の本音と、第三人称の客観的な他 人としての自分の論理とをぶつけあることで新しい意味のある日記を書くことができるんじゃ。よく考えてみれば、日記を書いた自分も、1週間経ってしまえば他人として自分の日記を読むことになる。 だから、未来の自分を読み手としながら日記を書くこと。1週 間、1年後の自分がこれを読んだときに十分共感を持ってよんでくれるだろうか、納得させることができるだろうか、そう考えて 書くことが大切なんじゃ。」


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